劣等感から解放されるために

 劣等感から解放される方法はないかと考えた。
というのは、ここのところ素晴らしい人との出会いが続き、自分の耐え難き凡庸に身もだえしていることを自覚したからだ。その人の経歴もすごい。SNSもすごい。いわゆる人脈もすごい。だめだ自分は。

 なぜ劣等感を覚えるのだろう。例えば圧倒的な美貌の人に自分は劣等感を覚えるだろうか。いや、それはない。そこは自分の土俵じゃない。美しさは自分の参入すべき市場じゃない。

 その、すごい人の世界に自分は足がかかると思っているから、その凄さに打ちひしがれるのだな。もしかしたらそこに自分がいるかもしれない、と思っているのだろう。あそこであの果実を手にするのは自分だ、と。

 そこで考える。その果実を手にするためにその人はどれだけのことをして、それが手にできていない自分はどれだけのことをしてきた?そこに圧倒的な差はないか。そしてその差は縮められないか。工夫でその距離を縮めることができるとしたなら、向き合うべきはその方法論ではないか、と思うと、羨むことや劣等感に沈むこと自体がなかなかの時間の無駄ではないかと考える。

 同時に、その人は自分の憧れを体現した姿なわけだ。先人だ。苦労して切り開いたその人の道を、「ふんふん、そうなのか。こっちに行けばいいのか」と軽々と追いかけていくことができないだろうかと思う。追いかける。並ぶ。一気に抜き去ることができないか?決して不可能というわけではないだろう。

 そうしてみると、その先にはきっともっと別の劣等感が行く手をふさぐのだろうし、その時にはもしかしたらそうやって追い越せるかもしれないし、追い越せないかもしれない。しかし、トライした自分は今の自分より先を行く自分だ。

 こう考えてみると、もしかしたら自分は他の誰かが羨む自分なのかもしれない。そう思うと「そんな大したもんじゃない」と思うのと同時に、「そうだよ。ついてくんな」なんて思う気持ちも湧いてくる。これは実に劣等感の強い人間の考えそうなことだと思う。

 劣等感の苦しみには

  • 自己否定の苦しみ
  • 嫉妬の苦しみ
  • 他者への冷たさの苦しみ

が潜んでいるように思う。

 

劣等感についての記事をいくつかみる。

re-sta.jp

 

kizuki.or.jp

 

life-and-mind.com

 

 劣等感を持ちやすい人には心理的な特徴がある、とこれらの記事では言う。一番目の記事でいうところの、自分を見つめて認めることで克服しようと提案するのがよく聞くアドラー心理学の手法のようだ。

二番目の記事では、劣等感を持ちやすい状況を三つあげた上で、環境や考え方、比較的手軽な解消法を提案している。劣等感と劣等コンプレックス(これって英訳したら同じではないのか?)と言う言葉で、健全な劣等感とそうでないものを区別し、健全でない劣等感を自分を益するものに変えるための提案がされている。

そして三番目の記事は、心理的手法で徹底的に劣等感をプラスの思考に変えていこうといった方法について詳細に書いてある。この記事の中の「ビリーフ」については、別のweb上の記事で見たことがあったのだが、ここで

ビリーフとは、あなたが真実だと思っている思い込みです。

という説明を見て、意味がはっきりした。 

 少なくとも、劣等感を持つ気持ちは負けず嫌いのそれだろう。それがあるからこそ前に進める。劣等感は私を前に進める船なのだと思うことにしよう。船だから揺れる、蛇行もする、不安にもなる。だから羅針盤をしっかり見据えて、船の状態を確認しながら目的地に進むのだ。

 この記事も、このブログも、小さな小さな「やってみた」の積み重ねなのだ。