散漫であること

自分は散漫である。

非常に集中力のある人と話をしていて、ああ、そういうことなのかと合点がいった。わたしは散漫な人間だ。

しかし、「集中力が高い」ことが結果を出す特質と考えられている現在だが、その反対にもなにがしかのメリットがあるのではないかと考えて探してみた記事がこれ。

wired.jp

 

他にもいくつか記事をさらってみると、注意力散漫であることは、

  • 同時にいくつものことを考えられる
  • クリエイティブ
  • 忘却しやすい

などの特性を持つとのこと。

同時にいくつものものを考える=ひらめきのようなものが起こりやすい、と解釈すれば良いのだろうか。

そして確かに自分は忘却しやすい。いろいろ忘れっぽい。あの時どうだったのか。誰と何をしたのか。何を話したのか。

先の記事の中には

ハーバード大学トロント大学による研究では、潜在抑制の機能の低さが創造性の高さに結びつくのは、その人が、過剰な思考を分析してノイズの中の信号を常に探し求める意思をもっている場合に限られる、としている。われわれは多くの情報を入れる必要があるが、同時に、不要な情報を捨てて行く必要もあるのだ。

とある。(忘れっぽいのは自然にデータの消去と最適化をしているということとも言えるだろうか)

ここではっきりわかるのは

「行動について常に意識的であること」→ノイズの中の信号を見つけるよう意識的であること

「瞑想をすること」→ノイズの中から必要な何かを見つけ出すための自分自身の環境づくり

という二つのことが大いに有効であろうと思われることだ。

行動の意味を洗い出し、記録し、日々瞑想する。

それが一見デメリットに思える自分の特質をメリットに転化させるための行動かと考える。